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私の実家がある茨城も被災しました。
今日は東日本大震災があった日です。
2011年3月11日、記憶に薄れてはいけない8年前、午後2時40分頃に突然起きた大きな揺れ、その時私は何をしていたんだろう。
私は当時自宅で自営業をしており、昼寝をしていたところ揺れで起こされ、息子から『やばい外に出よう』と叫ばれ一緒に家を飛び出したのを思い出します。
当時の自宅には梅の木が1本あり、それがかなりの勢いで揺れており、外にある電柱や電線もかなり大きく揺れていました。
自宅前にあった大きな駐車場には、ご近所の奥さんやご主人たちも不安そうにすでに外に出ており、そしていつしか皆集まりましたね。
揺れが収まり、自宅に戻りTVを見たところ、東北地方における津波に夜大きな被害を見ることに、そして福島における原発が津波によって大きな被害を受けているなどの状況が次々と報道されてきました。
我が家の娘や息子たちも都心から電車帰ってくることがうまくできず、途中歩いたりして帰ってきました。
皆さんのご家族も様々な経験をなさったと思いす。
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我が故郷である茨城も、地震によって多くの家の屋根瓦が落ちたり、橋桁が落ちたり、田んぼには大きな穴が出来てしまったりなどなど、書き出したらキリがないほどの現象が起きていたのです。
原発の事故の影響で川水に放射能が検出されたり、、電気の復旧に1~2週間かかったり大変だったようですが、それでも皆さんめげずになんとか立ち直ってくれました。
未だに復旧が遅れている東北地方、そして九州でも、地震は日本にとっては当たり前だと言われても、これほど我々日本人を苦しめ悲しめるものはないでしょう。
太古の昔、日本列島が大陸から離れたときから続いていると言われる地震、日本人にとって地震との戦いは宿命なのです。
我々日本人は、この大地に潜む『大なまず』と真っ向に戦い続けなければならないのです。
これから30年間の内にまた、同じような大地震が起きると予想されている以上、ただ手をこまいねいている訳には行きません。
各自がいかに被害を少なくし、生き延びる準備をしていくか、我々それぞれの家族の準備次第なのです。
みなさんも東日本大震災で苦しんだこと、そして学んだことを風化せず準備をしていきましょう。
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